生徒の体験談・結果

vol.1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15

入学時 卒業時
たかまさ
16
京都府出身


大分県の高校に進学・卒業!

自分をわかってくれる人に始めてあった喜び

僕は沖縄に来る前に高校を辞めてからは毎日ボーッとしている生活でした。廣谷先生と出会ってから毎日がとてもハッピーで、勉強、国際マナー、人との関係を学んでいます。皆さんもアカデミアに来たら自分の目標が見つかります。

父母からのメッセージ
大阪ではじめて廣谷校長にお会いし、是非お子さんに会いたいからと言っていただき、後日梅田のホテルロビーで子供と会っていただきました。校長先生といえば堅苦しいイメージですが、ラフな服装で来ていただき、そのことでも子供自身緊張感が和らぎ、あのスマイルや笑い声で情熱的にお話される姿にすごく感動し、今まで出会った先生とは全然違うと、帰ってきてからすぐ体験入学すると決めました。体験入学では皆様に暖かく迎えていただいたことがはっきりと思い出されます。入学してからの一年一ヶ月、校長先生、藤田先生、千葉先生、玉城先生、淳平さんには大変お世話になりました事、心よりお礼申し上げます。藤田先生には格別可愛がっていただきました事、厚くお礼申し上げます。
帰ってきてから、沖縄での話を色々聞かせてもらっており、その度に沖縄に帰りたい、帰りたいとしきりに言っております。色々話をしていて、自分の思いを相手にうまく伝えられるようになっており、考え方もしっかりしてきたと、それにたくましさも出てきたと話をしていて節々に感じられるようです。今まであの子の人生において一つの事をやり遂げたということがなかったので、アカデミアを卒業できたという達成感や、やっと自分のことを理解してもらえる本物の先生や友人に出会ったことが、あの子の自信につながっているのだと強く感じます。今までは自信がないことで皆より何歩もあとに引いていた生活であの子の長所も押しつぶされていました。望まれて輝かしくこの世に誕生したのに、2才4ヶ月の時にあった事故以来あの子の運命が180度逆転してしまい、その時その時一生懸命対処して育てたつもりなのに、何故か好転せず悶々としていた時にアカデミアに出会って、本当に救われました。隆政もよく言っていましたが、「オレ登校拒否してよかったわ」と、私もあの子が何の問題も無く育っていたらあとにはどんな人間になっていたのかと思うと…。事故に遭ったこと、登校拒否したこと、これは私達の試練だと思えるようになりました。アカデミアでは、人間として何が大切か、普通の学校ではおきざりにしていることをしっかりと教えていただいたように思います。先生方には、あの子に対して根気良く、決してダメな子だとあきらめず、あの子の良さを引き伸ばして育てていただきましたこと、深く感謝いたします。アカデミアの一年一ヶ月、欠席も遅刻も無かったことを聞いた時は、はっきりいって信じられませんでしたが、愛情もって信頼し、教え方でこんなにも違ってくるのかと、この子にもやれる力はあるんだと、今まで絶対に無かったことが、本物の先生方に出会えて、いとも簡単にがんばれるんだと、親としてもとてもうれしかったです。
親としてもアカデミア卒業はさびしいですが、かわいい子には旅をさせろで、また次のステップに進んでいって、荒波を乗り越えてたくましくなってもらいたいと思います。


卒業にあたって
いままで長い間本当にお世話になりました。いっぱいご迷惑をおかけしてすみませんでした。僕にとって廣谷先生は神様の様な人です。アカデミアを離れるのはほんとうに辛いです。こんなに優しくされたのは初めてでした。先生方、生徒さん達がすごく恋しく思います。感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんの服をいただいたり、泳ぎ方を教えて頂きました。アカデミアに来てとてもハッピーになり、嫌いだった勉強も今では真剣に取り組めるようになりました。大分県の高校に行くチャンスをいただきありがとうございます。いままで色々な人達に支えていただいたのも、廣谷先生のおかげです。アカデミアで学んだ事を生かして、卒業できる事を目標とします。ここまで来るのにほんとうに色々な迷惑をお掛けしました。新しい高校生活で自分の一番やりたい事を見つけたいと思います。廣谷先生のご健康を心から願っています。ほんとうに今までありがとうございました。

父母からのメッセージ(卒業後のお手紙)
ゴールデンウィーク中は隆政が大変お世話になり、心よりお礼申し上げます。沖縄から帰ってきた後、もう大分の学校には戻らない、と言うのではないかと私自身内心ビクビクでしたが、学校へ送っていく道中「オレが学校へ帰らんと言うと思っただろう」と先に言われてしまいました。学校ではイヤなこともあるけど、皆に早く会いたいし、アカデミアの為にも頑張ると、それから沖縄での楽しかったこと、アカデミアの皆が出迎えてくれたこと、皆変わってなくてうれしかったこと、一週間あっという間だった、もうちょっといたかったと、いっぱい元気をもらったようで、イキイキしていました。廣谷校長始め、藤田先生のご配慮で快く沖縄行きを引き受けてくださり、また出発前に電話で藤田先生が言ってくださったこと、隆政が休みのとき沖縄に来て、元気になって学校に戻り、それで無事学校をを卒業できれば、と願っていると言って下さって、私自身とてもとてもうれしかったです。ここまで子供のことを心より思ってくださる先生がいるなんて・・・この子はなんて幸せものなんだろう、一生出会えるかどうかわからない素晴らしい先生に出会えたこと、この子には色んなことがありすぎ、回り道をしていましたが、アカデミアに出会えたんだからそれでよかったんだ、と思います。
隆政も学校や寮生活がんばっているようです。時々学校の公衆電話から電話があります。まだ一度もイヤだということは言っていないので、ホッとしております。授業は自分のレベルに合わせてクラスが分かれるのでいいようです。国語はCクラスからBクラスに上がり、テストで70点取れたことがとてもうれしかったようです。今まで無かったことですから・・・。でもまだまだ先が長いので、色んなことがあるかと思います。その時はまたお力添え頂ければ元気になれると思います。アカデミアを卒業していながらその後も甘えてしまって心苦しいのですが、今後とも宜しくお願いします




入学時 卒業時 米国高校卒業時
あゆみ
13
岐阜県出身

米オレゴン州私立中学校編入・卒業
同高校進学

2004年優秀賞を受賞
TOEFL513点獲得!
2005年成績優秀生徒として卒業!
米ポートランド州立大学へ進学!


家庭崩壊寸前につかんだチャンス

初めまして、今日は。私は祖父、祖母、父、母そして18才の兄の6人家族です。私が幼いころから父と母は夜遅くまで仕事で、ずっと祖父と祖母が兄と私の面倒を見てくれました。祖母はすごく厳しい人で、塾を休みたかった時に祖母に怒鳴られ、私のかばんで叩かれた事を今でも覚えています。私は口うるさく、すぐヒステリックになる祖母が大嫌いでした。兄も口には出さなかったけど、祖母にはストレスを感じていたと思います。兄が中学校に入り、毎朝寝坊するようになったので、祖母が学校まで車で送っていました。祖母はそんな兄に怒鳴るばかりで、「もっとしっかりしろ!! 中学生にもなって恥ずかしい!!」と言い兄を叩き起こす毎日でした。しまいには朝、兄のベットに家族全員が集まり、兄に「何を甘えとる!! 学校行きなさい!!」と言って、兄が起きないと布団をはがし腕を掴み玄関まで兄をひきずったり、無理やり車に乗せたりしていました。この頃から家族がばらばらになってきたんだと思います。父は祖母と口喧嘩をし、祖母は母に八つ当たりし、母は祖母と同じように兄や私に当たるようになってきました。この時、家族が本当に嫌な雰囲気で、こんな家族嫌だと思いずっと家を出たいという気持ちでいっぱいでした。そんな家族と兄の状態を見ていて、「私ががんばらなくちゃ」という気持ちもあったのですが、すべてが嫌になり結局私も小学校5年生の時に不登校になりました。家族の皆も兄の事が先にあり私にはそんなにひどく当たりませんでした。不登校になったのは、家族のことだけではなく、色々な事が重なって疲れたからだと思います。その時、私のクラスの中でいじめがありました。私はいじめたり、いじめられたりするのは嫌でしたが、でも自分でいじめを止めたり、友達に間違っている事を間違っていると言えませんでした。たとえ正しい事であっても、それで自分までいじめられるのではないか、と怖かったからです。その時の私は人の顔色をうかがい、ただ人に合わせるだけで、きちんとした自分をもっていませんでした。
兄と私が不登校になり、人目や世間を気にする祖母は叫んだり、新聞紙を私の目の前で狂ったようにビリビリと破り、嫌味を言うようになってきました。毎日毎日、祖母を見るのも話すのも苦痛でした。私は、昼過ぎまで寝て、夜は遅くまで起きているという生活を過ごしていました。最初は、昼ご飯を台所で食べていましたが、祖母が私に怒鳴って学校の事や私の友達と比べて嫌味を言ってくるので、一緒に食べるのも嫌でご飯を自分の部屋へ持っていこうとすると、祖母はますますヒステリックになり、それ以来私はご飯も食べなくなりました。人に会うのがとても嫌で、夕方は学校が終わる時間なので絶対に外に出ませんでした。友達が学校の物を届けに来てくれても、カーテンを閉め自分の部屋に隠れていました。外へ出るのが嫌な一方家に居るのも嫌で、母の仕事場へついて行くようになりました。でも人には会いたくなかったので、車の中で母の仕事が終わるまで待っていました。母の仕事はいつも遅くまでかかり、車の中で7時間や8時間位待っていた日もありました。家にも何処にも居場所がなく、毎日がストレスでいっぱいでした。夜になると精神的に不安定になり眠れなくなったり、泣き叫び、母の目の前で首をつって死のうとした時もありました。時には、夜中に窓から外へ出て1人で庭で泣いていた時もあり、一時期は精神科からもらった睡眠薬と安定剤を毎晩飲んでいました。
祖母の事も苦痛でしたが、兄からの家庭内暴力も私にとってとてもつらいものでした。兄が祖母、母そして私に家庭内暴力をふるうようになったのは兄が不登校になり家に閉じこもるようになってからでした。兄も外へ出なくなり、家の中でただテレビゲームをし、漫画やビデオを見る毎日でした。やがて兄は昼夜逆転になり、ついに髪の毛も切らず、歯も磨かず、お風呂にも入らなくなりました。ある日、父と兄がつかみ合いの喧嘩をし、それから兄は自分の部屋に閉じこもり、食事も自分の部屋で食べるようになりました。兄は外へ出ないため母にテレビゲームや漫画を買ってこいと命令し、母をパシリの様に使っていました。優しかった兄はだんだん怖くなってきて祖母、母そして私に暴力をふるうようになりました。兄は何にもしていない私を毎日叩いたり、蹴ったり、髪の毛を引っ張ったりしていました。ずっと暴力をふるわれ兄の事を殺したいと思ったり、死ねばいいと思っていました。父は父で俺は関係ないという感じでいつも溜め息をつき疲れた顔をしていました。祖母はやっぱり世間体を気にし、ただ怒鳴るばかりでした。
そんなある日、母が新聞で日本青少年育成協会の大会の記事を見て、一緒に行こうと誘ってくれて、誘われるまま私は母と名古屋大会に行きました。そして、そこで廣谷先生と生徒の直人さんに出会いました。先生や直人さんのお話を聞き、こんなにも輝いている人達がいるんだと思い、先生達から勇気を頂き、嬉しくて胸がわくわくしたのを今でも覚えています。1週間後に先生がわざわざ家まで来てくださり、私の兄と会い兄がアカデミアに体験入学する事になりました。そして、その後すぐに私も体験入学する事になりました。先生方や生徒の皆さんと出会い、1人1人がとても輝いていて、自分もこの人達の様になりたいと思い、帰りの飛行機で母に「私行くから、私にはここしかないから、あそこが私の居場所だから」と伝え、すぐに荷物をまとめ沖縄に戻ってきました。先生方は、とても暖かく、両親がまっすぐ向き合ってくれなかった私を受け入れてくださいました。そして、私自身が向き合わなくちゃいけない部分も、気付かせてくださいました。どんな時にも支え、助けてくださいました。本当に有難うございます。アカデミアで先生方に生きていく上でとても大切な事、感謝の気持ち、謙虚な気持ちをもち、自分はどうあるべきか、ということを教えて頂きました。私には、人を受け入れ、許しの心を持つ事がとても大切な事でした。アカデミアに来た当時はやっぱりまだ兄や祖母を憎んでいたし、どうしても受け入れる事ができませんでした。でも、廣谷先生が、人の事を変えることはできないし、なんであの人はこうなんだってストレスがたまって自分がマイナスになるんなら、自分が切り替えてその人の事を受け入れて、許しの心を持つ事で自分が楽になるし、自分自身前に進めるという事を教えてくださいました。そうしたら、兄や祖母の事を受け入れる事ができ、許せるようになりました。なんだか知らない間に自分が持っていたストレスが自然と無くなっていきました。アカデミアの先生方と出会わず、この事に気付いていなかったら、一生私は兄と祖母の事を憎んでいたと思います。そう思うと自分でも怖いくらいです。アカデミアの先生方そして仲間達の支え、助けがあり今の自分がいます。そして、先生方をはじめ、今まで支えてくださった皆さんの力で、今アメリカという大きい舞台に立ち、未来に向かってがんばらせて頂いています。本当に有難うございます。今、悩み、苦しんでいる人達へ。1つの勇気で素晴らしい出会いと希望があり、1歩進めば、きっと何かが変わっていくと思います。

父母からのメッセージ
本人の希望とは言え、13歳の子供を手放す気持ちは複雑で、3月に一人で沖縄に旅立つ子を空港で見送った後、涙があふれて困りました。夏休みの帰省時もやはり車の中で泣けてしまい、子供が立派に親離れしていったのに比べ、我ながら情けない親だなと思いました。しかしアメリカに旅立つ立派になった子供の姿を、今日は笑顔で見送ることができました。アカデミアでの色々な経験を経て自信をつけ、大きく羽ばたいていく娘が頼もしく思われました。本当にありがとうございました。以前、手紙の中で引用しました言葉ですが、あゆみは、廣谷先生によって心に火をつけられ、皆様からあゆみ自身火をともし続ける力をつけていただきました。今後共どうかあゆみを末永く見守り下さいますようお願い致します。

卒業にあたって
今回、卒業するにあたりまして本当にありがとうございました。私はアカデミアで、人としてどうあるべきか、生きていく上で一番大切な事を学ばせて頂きました。尊敬心や感謝の気持ち、謙虚さなど人と関わっていく上でとても大切です。そして、アメリカへ行けるという大きなチャンス、舞台を作ってくださった先生、その舞台に何とか乗せようという気持ちでいつも支え、助け、応援してくださった慎一さん、千葉さん、玉賢さん、玉城先生、そして仲間たち、両親のサポートによって今、ここまで進むことができました。アメリカへ行くにあたって、今まで支えてくださった回りの方々への感謝の気持ち、回りの方々の想いを大切にし、初心を忘れず、謙虚さ、感謝の気持ちを忘れずに、アカデミアで学んだ1つ1つのことをアメリカで確かめ、自分の目で見て、心で感じ、違う価値観、人間性に触れて、いろいろなことを経験し、自分を高めていけるよう歩み続けていきたいです。

父母からのメッセージ(卒業後のお手紙)
この度あゆみはポートランドクリスチャン高校を無事に卒業致しました。残念ながら卒業式には出席できませんでしたが、空港へは家族皆で迎えに行き、娘との再会を喜び合いました。卒業式の写真や娘の話からアメリカでの高校生活が充実した日々であったことがうかがえ、大変嬉しく、支えていただいたホストファミリー、先生方、お友達の皆様に感謝の気持ちで一杯です。5年前にアカデミアと出会う前には思いもよらなかった素晴らしい貴重な体験を得られ、あゆみは本当に幸せです。そしてまた、私共も成長していく娘に元気をもらい励まされてきました。十四歳でアメリカへ送り出して頂き、無事に卒業の日を迎えられましたのも、廣谷先生はじめ諸先生方が親身になって教え導いてくださいましたおかげと、主人共々深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
末筆ですが、先生方とアカデミアの皆様の益々のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。



入学時 卒業時 米国高校卒業時
じゅんた
18
沖縄県出身

米オレゴン州私立高校編入
成績優秀生徒として卒業!
沖縄県内の大学へ進学!
米国オレゴン州の大学へ進学!


学生生活で見失った自分

僕はただ学校へ通い、毎日なにも考えずに自分勝手な生活をしていました。僕の兄はアカデミアの卒業生で現在アメリカの学校に通い、そんな充実した兄を見て僕もアメリカへ行き、色んなものを見たい、そして自分を変えたいと思いアカデミアへ来ることを決めました。アカデミアでは自立、国際マナー、そして心について勉強しています。毎日がとても充実して幸せです。一度沖縄に来てください。

父母からのメッセージ
廣谷先生、おかげさまで長男の淳平が無事アメリカの高校を卒業することができました。卒業式に参加させていただき感無量でした。あちらの校長、先生達、ホームステイ先の皆さんやアカデミアの皆さんに見守られ、祝福されて本当に感動いたしました。
また今回次男の淳太の編入手続きにお骨折りいただきありがとうございました。アカデミアの皆さんに送られて車が発車した途端、淳太が急に声を出して泣き始め、息子は本当にアカデミアで過ごした日々が心に残る思い出になり、感動している様子を見て先生に子供をお預けして本当に良かったと思いました。今、娘の比奈子がお世話になっていますが、これからもどうぞご指導の程、宜しくお願い申し上げます。

卒業にあたって
廣谷先生、本当にありがとうございました。先生は、僕が勝手な考えで自己逃避しようとした時、黙って話を聞いてくださり、その上温かいご助言まで頂いて、先生の優しさにすごく感動しました。あの時の自分がとても情けなく思います。また何度も美味しい料理を作ってくださり、海へも連れて行ってくださり、本当に幸せで、廣谷先生の深い愛情を感じてとても嬉しかったです。ご自分の時間を削ってまで僕達生徒に向き合ってくださり、何度お礼を言っても足りません。先生方と周りの人達の支えがあって今の自分がある、ということを忘れず、先生方の多大な努力のおかげでアメリカという大きな舞台に立たせて頂く事に緊張感を持ち、感謝と尊敬の気持ち、謙虚さを常に持ちつづけていきたいと思います。廣谷先生のご健康とお幸せを心よりお祈りいたします。ありがとうございました。



入学時 卒業時 米国高校卒業時 現 在
ゆう
16
栃木県出身

米オレゴン州私立高校編入
前学期優秀生徒として推奨される
成績優秀生徒として卒業!
TOEFL523点獲得!
青山学院大学英文科 合格!

拒食症という病気を乗り越えて

私は、小さい頃からずっと両親に過保護に育てられてきました。また、私もそんな両親に甘え、いつしか自分では何も出来ない甘えん坊の女の子になっていました。小学校に入学し、マイペースだった私は、いつも他の生徒より何をするのも遅れていました。高学年になるにつれて、学校で仲間はずれが目立つようになってき、その頃の私は、学校で一人になるのは嫌だという気持ちがとても強かったため、いつも友達6、7人でグループになり、いつも一緒につるんでいました。私たちグループの中でも、仲間はずれはローテーションのように回っていき、お互い仲間はずれにし、仲間はずれにされ、そんな繰り返しでした。何か少し相手にとって気に入らない事をいうと、すぐその事は関係ない友達にもひろがり、みんなに嫌われ始め、一人になる。そんな状態でした。私は仲間はずれにする側にも、仲間はずれにされる側にも入っていました。そんな私も小学6年生の時、私が言った言葉が友達は気に入らなかったらしく、それをきっかけに、多数のクラスの女子に仲間はずれに合いました。卒業も近かったこともあり、私は、中学生になったら、きっと楽しい学校生活を送れるという希望を心の支えにしていました。その頃から少しずつそんなうわべだけのちっぽけな友達関係に疲れていきました。中学校に入学し、また一人にはぜったいなりたくないという気持ちから、いつも自分を造るようになっていました。学校ではハイテンションでいつも明るい私、家ではその疲れと思春期から家族にあたってしまう私、そんなギャップと共に、自分自身がどんどんわからなくなっていき、学校を一人で行動するようになりました。
小さい頃から、ポッチャリしていた私は、小学校高学年になるにつれて、体型にコンプレックスをもつようになりました。異性からもてる私の友達はみんな細くて、かわいくて、そんな周りの友達と自分を比べていました。中学1年生の身体検査の時に自分の体重が、当時私が大好きだったアイドルよりも3kg程多かったのがとてもショックでダイエットを決意しました。ダイエットの知識が何もなかった私は、ただ食べなければ痩せられると思い、少しずつ食べる量を減らしていきました。日に日に減っていく体重に虜になっていった私は、いつしか食べる事、太る事に恐怖心をおぼえていました。もっともっと痩せれば、みんなに注目されて、もっと幸せになれる、私は痩せれば幸せになれると信じていました。学校の身体検査で貧血と診断され、父の知り合いの小児科に通うようまでにもなりましたが、その当時の私は、細くて、不健康で、気弱な自分が好きでした。毎日、母がお弁当を作ってくれたのですが、食べる事が恐怖だった私にとってそれは地獄でした。母にばれないように、お弁当の中身をゴミ箱に捨てたり、自分の犬に食べされたり、お弁当を振り回したり、あらゆる方法で食べる事を拒否していました。自分で昼食を買った時は、本当はほんのちいさな菓子パンを買ったのに、母に「何を買ったの?」と聞かれた時には、本当の事はいわず、カロリーの高い食べ物を適当に言っていました。夕食の時間は、私にとって一番の地獄でした。ご飯は一粒一粒ほんの少しだけ食べ、他は全部犬に両親にばれないようにあげていました。そんな光景を見て、いつも母はトイレで泣いていました。自分の部屋から出てみると、両親がいつも私について口論していました。ある日、母が、「ゆうちゃん、お医者さんがね、ゆうちゃんこのままでいったら、死んじゃうって。」と泣きながら言いました。私はその時、別に痩せているなら死んでもいいと思いましたが、本当は食べたくても、怖くて食べれないという気持ちをわかってほしくて、ただ隠れて泣くことしかできませんでした。家庭も、友達関係も、そして自分自身もめちゃくちゃな状態で、いつしか学校に行く意味が分からなくなっていきました。どうして学校に行かなくてはならないのか?そんな疑問がいつも頭によぎっていました。だんだん、朝、お腹が痛くなったり、気分が悪くなるようになりましたが、最初、医者でプライドの高い父には、その事は信じてもらえませんでした。学校でも気分が悪くなる時が多くなり、何度も早退するようになりました。なんとか学校に行かない理由を作るために、冬の寒い夜、ベランダにシャツ一枚で出て、立っていたり、夜いつも遅くまで起きていたりなど、自分の体を壊してまでも学校に行きたくありませんでた。朝もぜんぜん起きられないようになり、中学2年の10月、とうとう不登校になりました。最初、家族は私の事を理解してくれていると思っていましたが、それは大きな間違いでした。父が勧めてくれたダイエット法で、少しずつ食事が食べれるようになっていきましたが、やせたい願望はいっこうにきえませんでした。たまたま、私の通っていた病院の先生から父に宛てた年賀状を見て、自分が摂食障害という病気だという事を知りました。自分はただ痩せたいだけで、まさか自分が病気になっているとは、思いもよりませんでした。食事はできるようになったものも、今まで食欲をずっと抑えてきたために、食べ始めたら食欲のコントロールがきかなくなってしまいました。痩せたい。でも食べたい。そんな繰り返しを続け、しまいには20kgもリバウンドする結果になってしまいました。痩せていた頃は、みんなに「痩せているね。可愛ね。」などと言われ、その事で自分の生きている価値を見つけていた私は、太って変わり果てた自分の身体を人に見られて、「太ったね。」とその一言を言われるのがとても怖くて、人に会う事が恐怖になっていきました。なんとかもとの痩せていた時の自分に戻るために、不登校の間、何十万ものお金をダイエットにつぎこみました。太ってしまった自分をどうしても受け止めることが出来ず、いつも過去の写真を見たりして、過去に戻ることをいつも考えていました。
そんな時母が、日本青少年育成協会の栃木大会に行ってくれ、そこで廣谷先生と出逢う事が出来ました。人に会う事が恐怖だった私は、母にアカデミアの体験入学を勧められた時に、最初、断ってしまいました。しかし、廣谷先生がお忙しいなか、わざわざお電話をかけてくださり、先生のこと、アカデミアの生徒のみなさんのことをお話してくださり、私は体験入学に行くことを決意しました。体験入学の間、廣谷先生、アカデミアの先生方、生徒の皆さんは心から接してくださいました。初めて、人の本当の温かさを知り、嬉しさと感謝の気持ちで一杯になりました。また、アカデミアの生徒の皆さんは自分の辛い経験を堂々と話してくださり、そんな皆さんは私にとって、とても輝いて見えました。私もこんな素晴しい環境の中で、自分を変えたいと思いアカデミアに本入学させていただくことを決めました。廣谷先生、アカデミアの先生方は、いつもどんな時も捨て身になって、心から接してくださいました。本当の親でもやってくれないような事まで、してくださいました。また、学校では教えてくれなかった人としての生き方、感謝の気持ち、尊敬の心など、これから生きていくうえで大切なことを教えてくださり、また誰も教えてくれなかった自分の性格の問題、そしてその問題をどう変えていくかという事も教えてくださいました。廣谷先生、アカデミアの先生方は、いつも生徒の問題を自分の問題のように考えられ、そんな温かい、熱心な先生方そして、アカデミアの生徒の皆さんに私の人生の中で出逢えた事で私の人生は大きく変わりました。どんな時も、決してあきらめず、温かく、アカデミアの皆様が支えてくださったからこそ、大きく前進することができ、また、過去の自分を受け入れ、夢を持つことが出来ました。全て、廣谷先生、アカデミアの先生方、そして生徒の皆さんのおかげです。また、今こうしてアメリカで充実した日々を過ごせるのも、全てアカデミアの皆様のおかげです。本当に、言葉で言い表せないほど、感謝の気持ちで一杯です。廣谷先生、アカデミアの先生方、生徒の皆さんに出逢えてなかったら、今の自分はありません。本当に本当にありがとうございます。これからもアカデミアで教えていただいた事を胸に、廣谷先生、アカデミアの先生方、生徒の皆さんにいただいた、アメリカという大きな舞台で勉強させていただけることを感謝し、しっかりと受け止めてがんばっていきたいと思います。


父母からのメッセージ
由宇は本当にがんばりました。きっと色々な苦労があったはずです。でも私達には泣き言は一切言って来ませんでした。そんな苦労を成長への糧とお導き下さった先生方のご苦労と深い愛情は計り知れません。いつも由宇は、今日は先生に何処に連れて行っていただいた、何をごちそうになった、何を買っていただいた、など楽しそうに報告して参りました。その度に由宇は、そんな先生方のお心遣いが本当にうれしく、ありがたく、申し訳ない、と申しておりました。私も、先生方の数々の温かいお心に心よりお礼を申し上げます。
これからアメリカ留学という大きな夢へ向け、新たな旅立ちをいたします。そしてたくさんの困難と立ち向かっていくことでしょう。そしてその困難を又乗り越え成長していってくれることと確信いたしております。たくさんのご支援、ご指導、本当にありがとうございました。

卒業にあたって
この度、卒業するにあたって、改めてお礼申し上げます。今まで長い間、ご指導してくださり、本当にありがとうございました。今までを振り返ると、先生の温かいお気持ちに支えられて過ごし、また先生の貴重なお話や体験を聞かせていただき、私の人生の中で一番幸せな時間だったと思います。今こうして、幸せに毎日を過ごせ、卒業、そしてアメリカ行きという大舞台に立たせていただけるのも、先生がいつも捨て身になって、心から私に接して下さったおかげです。先生に教えていただいた、人としての心、生き方、考え方は一生の宝物です。もし先生に出逢えず、あのまま両親の事、自分の事、先生に教えていただいた全ての事に気づかないまま生活している自分を考えると、怖くてたまりません。今こうして元気でいられるのも、先生のお心遣いや、どんな時も決してあきらめずに私と向き合って下さったからです。本当にありがとうございます。アメリカに行かせていただいても、緊張感と危機管理をしっかり持ち、先生のお気持ちを裏切らないよう、そして先生のお顔に決して泥を塗らないよう、がんばります。生徒のことをいつも考えられ、あまりゆっくりお休みになっていないと思うので、先生もお身体には暮々もお気を付け下さい。先生のご健康とお幸せを心から願っています。今まで本当にありがとうございました。

アメリカ卒業にあたって
卒業にあたりまして、あらためてお礼申し上げます。この度は、廣谷先生・先生方そしてアカデミアの皆さんの大きな支えがあり、アメリカの高校を卒業させていただく事になりました。どうもありがとうございました。こうして、二年間アメリカで勉強や色々な貴重な体験をさせていただき、卒業という大きな夢にたどり着けたのも、全て廣谷先生そしてアカデミアの皆様のお陰です。一度社会から外れた私に心から接してくださり、そして大きなリスクを伴いながらもアメリカ行きという新しい人生に向けてのチャンスを下さった事、心から感謝しています。これからも皆様のご恩を決して忘れず、大学・社会に向けて一歩一歩頑張りたいと思います。本当にどうもありがとうございました。
お忙しいと思いますが、廣谷先生のお身体にはくれぐれもお気をつけ下さい。先生のお幸せとご健康をいつも心から願っています。


先生達から
青山学院大学合格おめでとう!初心を忘れず、また沖縄に戻ってきてくれて後輩のケアや社会との関わり方を勉強するためにインターンとなってくれた事は、皆とても嬉しく思っています。またお母様は青少年育成協会の北関東相談センターに積極的に関わっていただき、家族一同で日本の不登校問題に取り組んでいただき本当に頼もしい限りです。ありがとう!



入学時 卒業時 渡米後
かずひろ
15
兵庫県出身



米オレゴン州私立高校編入
前学期優秀生徒として推奨される

進学ばかりを考えて疲れた僕

はじめまして、こんにちは。僕は小学生のときから友達もいて、いじめられることもなかったのでまさか自分が不登校になるとは思っていませんでした。僕は小学校の時、中学受験をするために、進学塾に通っていました。しかし受験が近づくにつれ塾に通う時間が多くなり、何でここまで勉強しなければいけないのだと思い塾を辞めたいと思うようになりました。また学校でも朝起きるのがめんどうくさくなり学校に行く意味も分からなかったので、少しづつ学校を休むようになりました。最初は僕が母に学校や塾に行きたくないと言っても、母は無理やり僕を車に乗せて連れて行きました。しかし僕が絶対に行きたくないと何度も抵抗しているうちについに母もあきらめて、不登校になり塾も辞めてしまいました。
不登校になってからの2年半の間はずっと自分の部屋に引きこもっていて、朝起きたらとりあえずゲームの電源を入れて1日中ゲームをしていました。飽きたらテレビを見たり音楽を聞いたりして、ずっとベッドの上で過ごしていました。そして眠くなったら寝て好きな時間に起きるという不規則な生活を送っていたのでいつも昼夜逆転を繰り返していました。僕の家族はみんな自分のことで忙しく家族で一緒にいる時間はほとんどありませんでした。父は僕が幼いときから仕事で忙しくずっと単身赴任だったので、1ヶ月に1回顔をあわせるかあわせないかという程度でした。僕が不登校になってから父も単身赴任先から帰ってきて、僕に「学校に戻らないのか」と聞いてきてくれたのですが、そのときの僕には「あんたなんかに何がわかる」という反発の気持ちしかありませんでした。学校の友達は小学生の時は放課後などに良くきてくれたのですが、中学に入ってからは部活などで忙しくなりなかなか来てくれなくなりました。
高校受験が近づくにつれ僕も将来のことに不安を感じ始めていましたが、他人に相談しても誰もわかってくれないと思い、1人で悩むようになっていきました。しかし1人で考えても答えが出ずそんな不安な気持ちをまぎらわせようと意味もなく階段を上り下りしたり、1人誰もいない夜道を散歩したりしていました。そしてだんだん何が正しくて何が間違っているのかわからなくなり「何で誰も僕のことをわかってくれないのだ」と思い、気が狂いそうになっていました。「自分はなぜ生きているのだろう」「自分が生きていて意味はあるのだろうか」と考えるうちに、死んだら悩むこともなくなるかなと思い「もう死のうかな」と何度も考えました。でも一度死んでしまったらすべてが終わってしまうと思い死ぬことを思い留まりました。
そんな苦しい日々のなか、母がたまたまアカデミアの講演を聞きに行ってくれ、アカデミアの生徒である望さんがわざわざ僕の家まで来てくださいました。望さんはアカデミアや沖縄のお話を初対面の僕にも丁寧にしてくださったのですが、そのときの自分はまだ沖縄に行く勇気を持てませんでした。その1週間後、今度は廣谷先生がわざわざ家まで来てくださいました。先生は笑顔で部屋に入って来られて、僕の手を握ってそのまま僕を抱きしめてくださいました。今まで「僕のことなんて誰も分かってくれない」と自分しか信用していなかったのですが、先生に抱きしめてもらった瞬間「人ってこんなに暖かかったのだ」と感動して涙がこみ上げてきました。泣いたりしたらかっこ悪いと思いましたが、自然と涙が溢れてきました。廣谷先生のような優しさや人間性を持ち、僕と同じ目線で話をしてくださった人は、僕が生きてきた中で初めてでした。そして、沖縄でどういう人達が生活しているのか興味がわいてきて、沖縄に行こうと決心しました。沖縄に来てからもアカデミアの先生方や生徒のみなさんは、すごく優しくしてくださってすぐになじむことができました。沖縄では勉強以上に大切な、人に対する感謝や尊敬の気持ちなどを学ばせて頂きました。人として生きていく中では当たり前のことなのかもしれませんが、自分のことで精一杯だった僕にとっては今まで習ったことのないようなものでした。アカデミアの先生方はいつも僕たち生徒のことを気にかけてくださり、休日にもかかわらず海や、服を買いに連れて行ってくださり、本当の親の様に接してくださいました。
僕はアカデミアに来るまで不登校になった原因は全て学校の先生や友達、両親にあると思っていたのですが、アカデミアの先生方や一緒に暮らしているみんなから性格的な問題を指摘されていくうちに、不登校の原因はむしろ自分の自己中心的で人の気持ちも考えない自分勝手な性格に問題があることに気づきました。またアメリカに来てから両親のことを考えると、本当はすごく僕のことを思ってくれていたのだなと気づきました。両親には自分が今まで2年半もの間自分勝手な生活を送ってきたので、少しでも早く自立し安心させたいです。不登校の時のひねくれた自分勝手の性格のままでは死ぬまで一人でした。そんな僕を支えてくださっているアカデミアの先生方や生徒のみなさん、そして両親にはとても感謝しています。
アメリカで今こうして毎日充実した日々を送れるのもアカデミアの先生方と生徒の皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。


卒業にあたって
長い間本当にありがとうございました。僕にとってのアカデミアはかけがえのない思い出ですが、先生にとってはすごくお疲れになった時間だったと思います。僕のように中学校や小学校でさえろくに行っていないものがアメリカの高校へ進学するという大きな舞台に立たせていただけるのも廣谷先生の支えや努力なしではありえませんでした。それどころかもし廣谷先生が僕の部屋のドアを開けてくださらなければ僕は死んでいたかもしれません。先生が僕と会ってすぐに抱きしめてくださった時、僕は初めて人のあたたかさを知り、人を信じることができました。アカデミアに来てからも本当の父親以上にかわいがってくださり、感謝しきれません。また親や学校からも習ったことのない人間関係の築き方や心を初めて教わりました。廣谷先生のような知識と人間性があれば十分に一流の会社を興すことができると思います。それにも関わらず廣谷先生は自分の時間を削ってまでも他人の幸せのために時間を費やしていて、僕はそんな人と初めて出会いとても尊敬しています。先生のような素晴らしい人と出会うことができて僕は本当に幸せ者でした。僕が留学できるのも先生が大変な努力をしてくださったからです。そんな廣谷先生や先輩方の期待に応えられるよう、また後に続く人のお手本になれるようがんばります。今まで迷惑ばかりかけてきて、何一つお手伝いできませんでしたが、アメリカで自分自身を磨き、将来少しでも廣谷先生のお手伝いができるようになりたいです。



入学時 卒業時 渡米後 米国高校卒業時
ひろあき
15
愛知県出身

米オレゴン州私立高校編入
前学期優秀生徒として推奨される
2004年優秀賞を受賞
高2でTOEFL520点獲得!
2005年成績優秀生徒として卒業!
南山大学 合格!


現実と違った学校生活

僕は小学生の頃から親に言われ、進学塾に通っていました。はじめは勉強が楽しくて進学塾にも進んで通っていました。ところが、勉強で競争するようになっていた僕は、自己中心で人が上に立つのが嫌な勝ち気の性格になっていました。そして、六年生になり、クラスでいじめが始まりました。最初は、僕はただ見ているだけでしたが、軽く口止めの様な感じで、いじめられる様になり、学級会などで話し合っても、皆が口裏を合わせて嘘をつき、先生方にいじめの事を言った生徒は、帰る途中などにいじめを受けていました。そして僕も先生に相談したのですが、変化が全くなく、転校なども考えたのですが、これ以上親に迷惑をかけたくないと思い、我慢していました。いじめらるのが嫌で学校を休みがちになりました。ストレスが溜まり、押しつぶされそうになりながらでも、ここで頑張れば小学校の時にいじめっ子とも違う学校に行けると思い、中学受験を受けました。そして私立の中学校に入学しましたが、小学校の頃に思っていたイメージとは違い、学校までは家から遠く、学校では朝早くから夜遅くまで勉強をして、部活はほとんどなく、休み時間もなく、家に帰っても宿題が沢山ある毎日を過ごしていました。中学一年生で数学は三年生レベルの事をして、出来の良い生徒はどんどん先に進め、出来の悪い生徒は何も言われず、無視されていました。僕も勉強についていけなくなり、学校を休む様になってしまいました。ところが、メディアが少年による犯罪が起きる度に、その少年は不登校だとか成績が良かったなどと報じて、自分もその影響で、不登校にはあまり良くないイメージばかり持っていました。そういう世間の見方などから不登校にはなりたくなくて、学校へ無理をしてでも行くようにしていました。しかし僕が、授業時間が短い日に来たり、遅れて来たりしていたので、周りから非難されるようになりました。また、授業で遅れをとっているにも関わらず、何も補習などもしてくれませんでした。そして学校に嫌気がさし、家に閉じこもるようになりました、そんな時、親は体を壊すのではないかとか、不良になるのではないかなどと、心配してくれて、現実を受け入れ、フリースクールなどを探してくれたりして接してくれました。ところが僕は、自分で解決できると思っていたので、そのような行為を拒んでいました。学校の先生は、自分のクラスで不登校児がでるのを恐れ、学校へ戻ってくることばかり要求して、僕の話は聞いてくれませんでした。僕は、学校へいつか戻るかもしれないと思い、親に頼んで塾へ通うようになりました。そこでは、はじめ学校へ行っていない事を隠していましたが、ばれてしまいました。ところが、塾の先生も何も相談にのってくれる訳でもなく、ただ勉強を教えてくださいました。そのうち、外へ出ると家の近くの中学生と会うことが怖くなり、塾も辞めてしまいました。家に一日中いるようになってからは、昼夜逆転の生活を過ごし、家族の顔を見るのも怖くなってしまいました。そして夕方に起きて自分の部屋の中で朝になるまで過ごし、家族が寝静まってから、ご飯を食べて、家族が起きるころに寝る生活をしていました。
そんな時、母が新聞で、日本青少年育成協会の名古屋大会を知り、父と母が僕に内緒で聞きに行き、帰り際に廣谷先生に僕の事を相談してくれて、先生は、わざわざお忙しい中会いに来てくださいました。最初は、何がなんだかわからず、ただ話を聞いても、質問されても「別に。」と言って、とても失礼な態度をとってしまいました。最終的には中途半端な感じのまま、帰られてしまいました。ところが、僕はこの大きなチャンスを逃すべきではないと思い、電話で何度かお話を伺っているうちに、沖縄に行ってみたいと思い、アカデミアに来ることを決めました。そして、アカデミアに来たのですが、はじめは不安が強く、否定的な事ばかり言って、一日で帰ろうとして周りを困らせましたが、先生方や生徒のみなさんが、心をオープンにして接してくださり、いじめられた原因を作った自分の性格を治す為に、沖縄に残る事を決めました。アカデミアの皆様には心から感謝しています。そして先生方のお力をおかりして、チャンスを頂き、今アメリカで学ばさせて頂いています。将来はプロのカウンセラーになるべく、アメリカで心理学を専門的に習う為、大学に進学するつもりです。


父母からのメッセージ
宏明が大変お世話になり、ありがとうございます。アメリカ留学が決まり、家族中喜んでいます。不登校で一年間という長い間家に閉じこもっていたころから考えると、大きな大きな前進です。ひとえにアカデミアの先生方や生徒の皆さんにあたたかく見守っていただいたお陰だと感謝しています。
宏明は、アカデミアの教育方針である「本人が自信を持ち自立する」「他人や社会の中に積極的に参加して成長していく」「相手の気持ちを理解する」という教えを受け、大きく成長したようです。宏明には、不登校を自分の経験として受けとめ、それをステップとして前進していってもらいたい、自信を持ってアメリカへ旅立ってほしいと思います。
本当にありがとうございました。

卒業にあたって
不登校だった僕にわざわざ名古屋まで会いに来てくださって、「別に」としか言えずに逃げていた僕に決してあきらめずに接してくださり、性格の問題点に熱意を持って対応してくださった廣谷先生には心から感謝しています。なかなか自分の性格に対して向き合わなかった自分にもいつでもお話をして下さったり、書ききれないほど接してくださったり、本当にありがとうございました。

二年ぶりに沖縄に来させて頂いて
先生方のお力をお借りして、アメリカで学ぶ事ができ、また夏休みに二年ぶりの沖縄に来させていただき、本当に嬉しかったです。二年ぶりに先生方にお会いするのは、とても緊張しましたが、先生方のお顔を見て心がほっとしました。自分の居場所はアカデミアにあって、自分を大きく変えて下さった原点だと、再び気が付かせて頂きました。
少しでも、ご恩返しにお手伝いをさせて頂きましたが、あまりお役に立てなくて反省しています。また、まだまだ自分がアカデミアに来させて頂いてから、変わっていない部分もある事に気が付かせて頂きました。先生方にお会いできて、本当に嬉しくて、心から感謝しています。また本当にお気遣い頂いて、心から感謝しています。ありがとうございました。
これから再び先生方が下さったアメリカでのチャンスを責任持って最後まで遂行して、今度は卒業証書を持って、笑顔でお会いできる日を楽しみにしています。

先生達から
 宏明君、この夏はびっしり沖縄で後輩の生徒達に英語を教えてくれたり、スタッフのごとく先生達のお手伝いをいただき先生達一同本当に感謝しています。めざましく成長した姿を見せてくれてとても嬉しかったです。在校中にお手伝いにいつも来ていた変わらない姿勢、基本を忘れていない事がどんなに皆の励みになったことかわかりません。ありがとう!

父母からのメッセージ(アメリカ高校卒業後のお手紙)
先日、宏明がポートランドクリスチャンハイスクールを卒業し、帰国いたしました。卒業後一ヶ月あまり、ポートランドに残り車の免許を取ったり進学の準備をしていたとのことでした。一年ぶりに会った息子は、少し青年らしい顔つきになり、逞しくなったように見えました。
アメリカの高校を卒業した息子をこうして迎える日が来るなんて、5年前の私たち親子の状況から考えますとまさに夢のようです。あらためて廣谷先生と出会えて息子も私たち夫婦も幸運だったと思っております。先生には、息子を不登校から立ち直らせ、アメリカへ留学させていただいただけでなく、留学後も見守り励まし続けて下さいまして、本当にありがとうございました。不登校をして引きこもりがちだった息子がアメリカで3年間の高校生活を送るという貴重な体験ができましたことは、先生をはじめアカデミアの諸先生方のお力添えがあってのことと、夫も私も心より感謝しております。
息子は今後カレッジに進んで心理学を勉強するつもりでいるようです。この先乗り越えるべき試練も多いと存じます。まだまだ未熟な息子や私たちをどうかご指導くださいますようよろしくお願い申し上げます。



入学時 卒業時 渡米後 米国高校卒業時
たかし
14
神奈川県出身

米オレゴン州私立高校編入・卒業!
前学期優秀生徒として推奨される
米オレゴン州の大学へ進学!

今が楽しければ良いと思っていたあの頃

僕は昔不登校でした。将来の事も考えずに遊んでいたのですが、今沖縄に来て自分の将来を考えるようになりました。これからは、前向きに人生を考えていきたいと思います。中退者、不登校のみなさん、今自分の人生がどれだけ危ないところにいるのか早く気付いてください。

父母からのメッセージ
この度は廣谷先生のご尽力により貴志がアメリカ留学させていただける事になりまして、誠にありがとうございます。貴志には、先生はじめ皆様のお力で留学できたことを心に留め生活していって貰いたいと思っております。
当初は沖縄の地で環境を変え、のんびり生活すれば落ち着くであろうとの思いでアカデミアに行かせました。お預けして半年後にそちらに伺い、先生方や生徒さんに会わせていただきまして、中学生の貴志の幼さを強く感じました。この中で貴志はやっていけるのだろうか、と思いつつも、廣谷先生から「貴志は大丈夫です」とのお言葉をいただき一安心いたしました。
この度、幼いながらも廣谷先生にアメリカ留学を手配していただけるまでに成長してきているのだと思うと、あの頃を思い出し感無量です。本当にありがとうございました。これまでのご指導にお礼申し上げるとともに貴志の成長を見守っていただければ幸いです。

卒業にあたって
今まで本当にお世話になりました。アカデミアでの生活は本当に楽しくて、これから先、こんな経験は二度とできないと思いました。また、廣谷先生のような方にも二度と出会えないだろうとも思いました。転んで困っている子供たちに手を差し伸べ、いつも相手にベストを尽くし,アメリカという大舞台に乗せることができるような方は今まで見たことがありません。そのような方に出会えて本当によかったです。ありがとうございました。



入学時 卒業時 米国高校卒業時
りゅうじ
16
愛媛県出身



米オレゴン州私立高校編入
前学期優秀生徒として推奨される
成績優秀生徒として卒業!
カリフォルニア州の大学へ進学・卒業!


いじめで生きることも辛かったあの時

僕は昔から人付き合いが下手でなかなか友達もできず何度もいじめを受けてきましたがそれが特にひどくなったのは中3のときです。学校に行くと毎日教室や廊下で殴られたり、ごみを投げつけられたり、通りすがりにつばをかけられることもありました。また僕だけでなく僕の友達にも手を出すようになり、みんな不登校になったり転校したりして話し相手もいなくなってしまいました。そしてしばらくの間、学校に行っても誰とも喋らず自分に危害を加えてくる人間を無視していました。そのときの僕はこれ以上彼らと関わってトラブルを起こしたくないという気持ちでいっぱいで、だれも信用できなくなっていました。しかしそんな僕の態度に不満を持ったのか今度はクラスメート全員がいじめに加わるようになりました。そのとき担任の先生に相談しようかと何度か考えましたが、中2のときに同じようにいじめを受けていた生徒が先生に相談しても何の解決にもならず、ちくったことでかえっていじめが悪化したのを良く知っていたのでそれはできませんでした。親はそのとき病気で入院していたこともあり、それどころではないという状態でした。男子からの暴力、女子からの悪口や陰口、受験勉強のストレス、周りにはだれも心を開いて話せる人間がいないという孤独感、それらすべてが重なり毎日が憂鬱でした。何度か学校に来なくなった友達の家に遊びに行ったとき、ずっとマンガを読んだりゲームをしたりして好き放題暮らしている姿を見て「なぜこれほど嫌な思いをして学校に行かないといけないんだろう」という気持ちになり、自分も学校を辞めようと思いました。しかし塾に通わせたり家庭教師を雇ったりしてまで僕を受験に合格させたいという親の気持ちを考えるとそれはどうしてもできず、我慢して学校に通いました。受験が終わり無事高校に合格して中学校を卒業したのですが、入学した高校でも中学時代の同級生からのいじめが絶えず、親しい友達もまったくできず、授業にもついていけなくなりすべてが嫌になりました。夏休みが終わり始業式に行ったとき周りの人全員が自分の悪口を言っているような被害妄想が心の中にあり、このままだと自分が壊れてしまうような気がして学校に行くのは無理だと思い、やめる決心がつきました。
次の日から毎日を家で過ごすようになり、部屋でゲームをしてマンガを読んで好きな時に寝て好きな時に起きての、昔の友達と同じ自分勝手な生活を送っていました。しかし次第にその生活は耐えようのないほどの不安と圧迫感を与えるものに変わっていきました。たまに家の前を通る高校生を見ていると「自分は学校に行っていないんだ」という負い目があり、また休みの日にも「もし誰か知っている人にあったらどうしよう、また何かやられるんじゃないか」と人目を気にして外に出られませんでした。家でゲームをしていても窮屈でまるで部屋に閉じ込められているような感じがしてまったく楽しくありませんでした。その間親は何とか僕を立ち直らせ学校に通わせようと必死で説得し、通信制高校を探したり精神科に連れて行ったりしたのですが、僕は対人恐怖症で誰とも会いたくなく、学校というもの自体が嫌だったので頑として受け入れませんでした。
そんな生活が何ヶ月か過ぎたある日、母が日本青少年育成協会の松山大会を見に行き先生に僕のことを話してくれました。そして廣谷先生は大変お忙しいにも関わらず、僕の部屋にわざわざ来て下さいました。そのときの僕はただ無気力に「べつに」「べつに」と答えるだけで先生が僕に何を伝えようとしていたのかを考えず話を上の空で聞いてしまいました。しかしそれでも先生は僕を見捨てず、今度は二人の生徒さんを僕の家に連れて来て下さいました。二人とも僕と同い年で同じように辛い経験をしたのですが、沖縄で廣谷先生をはじめ心温かい先生方と出会い、人間関係の大切さ、思いやりと感謝の気持ち、そして人としてどうあるべきかその人生の生き方を学び、人間的に大きく変わったという話を聞きました。実際に二人の行動や、態度を見ていてそれが本当だというのがはっきりと伝わってきました。そして自分も行ってみたい、前に進むきっかけを掴みたいという気持ちになりました。それからしばらくして、不安でいっぱいになりながらも沖縄に行く決心をつけました。アカデミアに着いた時、緊張してがちがちになっていた僕を廣谷先生、アカデミアの他の先生方、そして生徒の皆さんが温かく笑顔で迎えて下さいました。その後生徒の皆さん一人一人が自分自身の誰にも言いたくない様な辛い経験を僕に語って下さりました。みんな過去を吹っ切り、自分の問題点を見つめそれを直し、前に進んでいこうという姿勢が伝わってきて、僕とは比べ物にならないほど輝いて見えました。またそんな生徒さんたちを指導している、廣谷先生、そして他のアカデミアの先生方は何事に対しても熱心で、プライベートの時間を削ってまでして僕たち生徒一人一人と接し、大事にして下さる思いやりのある心優しい方々です。また何か間違ったことをしていたら、その間違いに気づくよう、そしてまた同じようにつまずいた時自分たちで解決できるよう、何度も何度も熱心にそして丁寧に教えて下さいます。今まで自分に甘え、人に甘え、何かあったとき全て人のせいにしてきた僕に、廣谷先生そしてアカデミアの先生方は優しさと厳しさを持って献身的に指導し、親以上の愛情を注いで下さいました。これまでの人生で何かに感動するという事は無かったのですが、そのとき初めて心から人の温かみを感じることができました。そして冷めた人間関係の中で育ち、毎日を憂鬱に暮らしていた松山からこのアカデミアに来て本当に良かったと思いました。このアカデミアでの生活の中で自己中心な物事の考え方、勝気で頑固な性格、人に対する感謝の気持ち、思いやりの心、そして尊敬心の欠如など今までに習ったこともない、また考えたこともなかったような心の問題について学ばせて頂きました。僕自身性格や心の問題で何度も大きくつまずいたのですが、その度に廣谷先生を初めアカデミアの先生方、そして生徒のみんなに支えられ、立ち直りみんなと共に歩んでいく事ができました。また沖縄の美しい海で泳いだ事や寮生活で生徒のみんなと共に助け合って暮らした事、親しい友達がたくさんできた事など一生涯かけがえのない素晴らしい思い出がたくさんできました。1年半の長い間本当に熱心にそしてわが子のように育てて頂いた廣谷先生、アカデミアの先生方、そしていつも僕を支えて下さった生徒のみんなには言葉では語り尽くせないほど感謝の気持ちで一杯です。もしあのまま松山の家にいたら今自分はどうなっていたのか、そして僕自身だけでなく家族はどうなっていたのか、それを考えた時アカデミアで救われ、今こうして廣谷先生方のお力と家族や生徒のみんなの支えがあってアメリカの地にいられる自分は幸せ者だと思います。そしてアカデミアに着いた時、人に対して恐怖心を抱き、コンプレックスの塊だった僕に未来への希望と生きていく自信を与えて下さった廣谷先生、そしてアカデミアの先生方は僕にとって一生涯の恩人です。その先生方に対して今自分のできる事はこのアメリカの地でそしてこれから社会に出てからもアカデミアで習ったことを生かし精一杯生き抜いていく事だと思います。そしてこれから生きていく上で何かあった時、アカデミアで先生方がいつもおっしゃられていた事を思い出し、何があってもくじけず前に進んでいきたいです。

父母からのメッセージ
先生と出会い、隆司の事をお願いし、本当に有り難うございました。以前は、私や妻ではどうすることもできませんでした。父親として隆司の身になって考え、隆司の気持ちを理解しようともしなかった自分自身を今は恥じています。
隆司がアカデミアへ行き、廣谷先生の指導を受け、また同じような状況の子供達とともに過ごすことにより、息子は卑屈さが次第になくなり、前向きに生きていこうという姿勢が強く感じられるようになりました。彼が成長しやがて自分の意思と力で生きていくことができるよう素地を造って下さった廣谷先生には言葉には言い尽くせない程感謝しています。
私達夫婦は、立ち直った今の隆司を見て、本当にうれしいです。私達四人の家族関係はやっとプラスの方向へ向かい出したなと思っています。廣谷先生と出会えたのも、縁というしかありません。出会いを大切にし、そして先生を信じて息子をお願いしたことは、正しい選択だったと確信しています。私は、先生への感謝の気持ちを忘れず持ち続けたいと思っています。最後になりましたが、先生方、そして沖縄にいる同じ世代の子供達がみんな幸せであるようお祈り申し上げます。


卒業にあたって
廣谷先生、本当にお世話になり有り難うございました。松山までわざわざ会いに来て下さり、やさしさと厳しさとを併せ持って人間関係や人の心についてご指導下さった先生の努力と熱意には一生頭が上がりません。廣谷先生は僕の人生の恩人です。病院送り寸前だった僕に夢と希望を与え、アメリカという大舞台まで用意してくださった先生の気持ちに応えられるよう、精一杯ベストを尽くし頑張ります。

アメリカ卒業にあたって
廣谷先生、そしてアカデミアの先生方、この度無事に高校を卒業できましたことを、感謝の意をこめてご報告させていただきます。アカデミア卒業後もカードや励ましのお電話を頂き、また何か起こるたびにいつも親身になって手助けしていただいて、そのつど勇気付けられ、この二年間を無事に乗り切ることができました。また電話で先生方とお話するたびに、アカデミアの卒業生としてどう振舞うべきか、今自分に足りないのは何なのか、そういったことを改めて再認識させられました。ここでの二年間を総括してみると、ホストファミリーとの関係、学校での人間関係、そして学業と全てがうまくいったわけではありませんが、壁にぶち当たる度に先生方の言葉を思い出し、時には周りのアカデミア生の力を借りて問題に向き合っていきました。アカデミアの皆様の助けがなければ今の自分は無かったと思います。
また、こちらに来て僕が特に学んだのは日本の大切さでした。日本食のレストランに入る度に、バスや電車で日本人に合うたびに、日本への懐かしさが自分の中で沸きあがってきて、またそれと同時に自分はこの国では外国人であるという事を実感させられました。日本にいた時は当たり前のように手に入ったものがこちらには無くて、言葉も生活習慣も全てが違うこの土地に最初は違和感があったのですが、時間がたつにつれそういった感情も無くなりました。それはホストファミリーの助けがあったからだと思います。僕は同じホストで二年間過ごしたのですが、最初のうちは関係がうまくいかず、すぐに変えようと考えていました。そうなった主な原因は、僕の英語力不足と、何度も大事なものを落としてしまって迷惑をかけてしまったことで、自分自身に問題があったのですが、しかしそんな僕に対してホストファミリーはアシアン料理を作ってくれたり、色々な場所に連れて行ってくれたりと、僕を元気付けようとしてくれました。英語のできない日本人に手を差し伸べ、どんな人でも受け入れようとするアメリカ人の心の広さと温かさを感じました。そして、人間関係で最も大切なのはお互いを理解する事だと思いました。日本語でしゃべろうが英語でしゃべろうが、お互いを分かり合えないと、心を開いて話すことはできません。お互いを分かり合うには実際に会って話をして、時間をかけて続けていくことです。そのうちにお互いの心の壁が消え、やがて何でも話せる親しい仲になるのだと思います。実際に僕がそれを実践できたかというとそうではないのですが、ホームステイを通じて英会話だけでなく、人間関係の基盤を学ぶことができ、実のある留学になったと思います。これから廣谷先生とリサさんのご協力でカリフォルニアのコミュニティカレッジに入学させて頂く事になりました。貴重なお時間を割いてわざわざ大学を探してくださった廣谷先生と、手続きやアパート探しなど全て代行して頂いたリサさんには大変感謝いたしております。大学に行っても、今まで培ってきたことを生かし、またアカデミアでの日々、すなわち初心を忘れずに精進していきます。
最後に、沖縄での生活を含めたこの数年間、大変お世話になり誠にありがとうございました。これから僕は独り立ちしていかねばなりませんが、まだまだ人間的に未熟です。廣谷先生のおっしゃったとおり人生の中で何度も躓くと思うのですが、その度に先生方のお言葉を思い出し、何があっても、どんな時でも全力を尽くし、最後までやり抜いて行きます。アカデミアの先生方もお身体にはお気をつけて元気にお過ごしください。また沖縄でお会いできる日を楽しみにしております。




入学時 卒業時 渡米後 米国高校卒業時
きよえ
14
鹿児島県出身


米オレゴン州私立高校編入
優秀生徒として卒業!

日本国内大学へ進学!

学校にも家庭にも居場所が無かった私

はじめまして、こんにちは。私の両親は私が小さい頃から仲が悪く、よく喧嘩していました。私は、そんな両親を見るのがすごく嫌でした。私が不登校になった理由は、小学校6年生の時にある一部の先輩に目をつけられたからです。その時は友達と一緒だったので大丈夫だったのですが、中学に上がり友達とも学校やクラスが違うようになって、また先輩に目をつけられるようになりました。その先輩というのは、そのとき所属していたバスケット部のキャプテンだったのですが、他の先輩も段々加わって、私の悪口を言うようになりました。先生達も気付いているはずなのに見て見ぬふりをしてて、そうゆうのが嫌でだんだん学校へ行かなくなりました。その時は家も荒れていて、姉もほとんど家に居なくて、母も父も仲が悪く、そんなことから中学1年の2学期から全く学校に行かなくなりました。
アカデミアに体験入学に来た時は、不安な私をみんな優しく迎えてくださり、それが嬉しくてここに来ようと決めました。沖縄に来て1年と5ヶ月になります。今ではとても充実した毎日を送っています。アカデミアでは、英語・数学・中国語の他に普通の中学校では学べない大切な事を学ばさせて頂いてます。今の私があるのも、アカデミアの先生方、生徒さん、そして家族が支えてくれたからです。本当に感謝しています。ありがとうございました。

父母からのメッセージ
アカデミアでは清恵が大変お世話になりました。今まで自分は育て方を間違った、と自分を責めていたところもありましたが、清恵が十三才で沖縄へ、十五才でアメリカへと大きな決心をするたびに家族がつながってきているように感じます。以前は何となくバラバラで未熟な家族だったのではと思います。私も人に弱さを見せるのは恥ずかしい方ですが、清恵がゲートに入っていく時は泣けて泣けて仕方ありませんでした。二、三日そうでした。しかし、清恵からアメリカへ着いた連絡が来ると、これで良かった、これで良かったとつくづく思いました。
 廣谷先生はじめ、アカデミアの先生方、生徒さん方と生活から勉学まで共に過ごした時があったからこその今だと本当に感謝しております。本当にありがとうございました。

卒業にあたって
廣谷先生、長い間お世話になり本当にありがとうございました。どうしようもなくいつも不安な私を最後まで諦めずに暖かい気持ちでご指導くださったことを心から感謝しています。廣谷先生はいつも捨て身になって、私たちに人として大切なこと、感謝の気持ち、尊敬心を教えてくださり、本当にありがとうございました。アカデミアで廣谷先生、先生方、生徒の皆さんと過ごせた日々は、私にとって今まで生きてきた中で一番楽しく充実した日々でした。もし廣谷先生に出会っていなければ私の人生はどうなっていたか、考えただけでとても怖いです。
私の人生を大きく変えてくださった事を本当に感謝しています。今回、アメリカという大きなチャンスを下さったことを大切にして、廣谷先生から教えていただいた一つ一つを常に心に置き、決して諦めずに一生懸命頑張ろうと思います。




沖縄のフリースクール「アカデミア」は不登校、登校拒否、ひきこもりなどの問題を持つ生徒が、そこから起き上がる力、心の教育、生き方、ライフスキルを、日々の生活を通し習うスクールです。沖縄県内だけではなく、
東京都 神奈川県 埼玉県 千葉県 など関東を中心に 大阪府 愛知県 名古屋市 などの関西 北海道 仙台市 などの東北 福岡 熊本 鹿児島 広島 兵庫 高知 徳島 などの九州 中国 四国からの生徒も受け入れております。

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